2025年2月  1.秘跡の執行者

 教皇の意向は、「司祭職や修道生活への召命」です。近年、世界的に召命が減少していることはたびたび触れてきましたが、ここで、司祭職の本質を確認し、司祭でしか担えない役割は何かを確認しておきましょう。司祭が不足しているにもかかわらず、一人ひとりが極めて多忙な生活を送らざるを得ない現実を見ると、信徒でも担える使徒職は、可能な限り司祭の職務から切り離すことが求められるからです。
 司祭は、秘跡の執行者です。では、秘跡とは何でしょうか。カトリック教会には、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、結婚、叙階という7つの秘跡が制定されています。「秘跡」とは、秘められた神のみわざの「跡かた」(=しるし)であり、その神のみわざの恵みが私たちの「目に見えるしるし」となって、私たちに与えられることを言います。キリストの愛の賜物とされています。
 7つの秘跡の中で、司祭には与えられていないものが一つあります。それは「叙階」です。秘跡の執行者となるために、頭に手をおいて祈りながら権能を授ける按手は、司教にのみ与えられた賜物です。もう一つの例外は「洗礼」です。いのちの危機にある場合に限って、司祭でなくても洗礼を授けることができます。この場合の洗礼の執行者は、キリスト者に限りません。死にゆく人が洗礼を望んでいることを表明していることが条件となりますが、誰でも執行者になれます。
 小教区の教会を担当している司祭は、秘跡の執行のほか聖書講座やキリスト教入門講座などを開催したり、講話や講演などを行ったりして、教会の教えを伝えること、キリストの愛を伝えることにも力を注いでいますが、教会はその役目を司祭だけに負わせるのではなく、信徒も積極的に参加して、司祭の負担を軽くし、秘跡の執行に専念できるようにすることが求められるでしょう。
 教皇の意向にあるように、「教会共同体として」司祭に望むことを明確にし、その執行のために神から呼ばれている、神にその命を召されている若者を育てていくことができるようにと、祈りの日々を過ごしてまいりましょう。

意向

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