2025年3月  2.性虐待被害者

 「世界において、また日本にあっても、神からの賜物であるいのちに対する暴力を働き、なかでも性虐待という神の似姿としての人間の尊厳をないがしろにする行為を、聖職者や共同体の指導者が働いたという事例が、近年相次いで報告されています。」
 この一文は、日本カトリック司教協議会の会長という立場から菊地功枢機卿が、2025年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって呼びかけた言葉からの引用です。
https://www.cbcj.catholic.jp/2025/01/31/31410/
 さらにこの呼びかけでは、シノドスの最終文書から「もう一つの非常に重要な分野は、教会のすべての側面において、未成年や社会的弱者にとって共同体をより安全な場所にするために、保護の文化を推進することです。虐待の防止と不適切な行為への速やかな対応を可能にする規則と法的手続きを、教会組織が備えるための作業はすでに始まっています。…… 被害者が歓迎され支援されることが不可欠であり、それは細心の配慮を持って行われなくてはなりません。これは深い人間愛と、資格を持った専門家の助力が必要です。……セーフガーディングのプロセスは絶えず監視され評価されなくてはなりません。被害者とサバイバーは、細心の配慮のうちに歓迎され、支援されなければなりません。(試訳)」と150項の一部を引用して、教会がすべての人が安心して集える希望に満ちた場所に変わっていくことの大切さを説いています。
 教皇フランシスコの呼びかけで、2017年からこの祈りと償いの日が設けられ、日本では四旬節第2金曜日に充てられています。日本の教会は、意向として「性虐待被害者」を取り上げ、被害者が「神との交わりの中で生きる希望を見出すことができますように」と祈るように、私たちを招いています。
 昨年3月にも、同じようにこのことを取り上げましたが、「あたかも被害を受けられた方に責任があるかのような言動で加害者を擁護するなど、二次加害によってさらに被害を受けられた方々を傷つけた事例も、教会内にあります」(呼びかけより)。事実を公表できない状況が一日も早く取り除かれ、被害を受けた方々が、無関心や隠ぺいと闘いながら、聖年にふさわしい日々を過ごすことができますよう、ともに歩んでまいりましょう。

意向

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