2025年4月  3.謙遜と寛容

 日本の教会の意向は、「新生活を始める人たち」が、「それぞれの場で神との交わりを大切にしていくことができますように」祈ることです。
 神が私たちに求める生き方のひとつに、謙遜があります。傲慢にならずに、「へりくだって神と共に歩むこと(ミカ書6章8節)」を大切にすることで、私たちは平和への確かな歩みを踏み出すことができます。もうひとつの生き方として、寛容があります。心が寛大でよく人を受け入れること、過失をとがめたりせず人を許すこと、という意味で用いられます。これは、「主の祈り」でも唱えられる一文の「人をゆるします」に通じる、キリスト者としての大切な生き方です。
 新しい環境で生活するにあたって、新しい人との出会いがあります。同僚や先輩、上司や部下など、社会的な関係はさまざまでしょう。しかし、初対面だということは、その社会的関係を超えて、人格と人格とが出会い、交わりのきっかけを作っていくことから始まります。そこでとても役に立つ姿勢が、謙遜と寛容なのです。
 謙遜は、自分の考えを述べる前に、相手の伝えたいこと、主張したいことに耳を貸すといった姿勢につながります。そして、寛容は、たとえ自分と反対の意見が述べられた場合にも、その意見が生まれた背景にまで思いを及ばせて、その意見を述べた人の人格を認め、それを受け入れる姿勢につながります。
 このような心の態度は、今教会が大切にしている「ともに歩む:シノダリティ」にも通じています。聖霊に耳を傾け、神の民全体が互いの意見に耳を傾け、共同体として識別を重ねるこの歩みは、意向にある「神との交わりを大切に」することにほかなりません。
 新生活で新しく出会う人々が、謙遜と寛容の心で互いを受け入れ合って、豊かな関係を築いていくことができるようにと、祈りをささげてまいりましょう。