2025年12月 4. 召されるいのちと使われるいのち

 2025年も残すところわずかとなりました。日々を丁寧に生きる道を神と共に歩んできた一年を振り返り、感謝をささげるとともに、来る年には世界中が平和で満たされますようにと、心を合わせて祈りましょう。

 日本の教会の意向は「召命」ですが、「喜んで神と人に奉仕する生き方を選ぶ」生き方は司祭や修道者への招きに限らず、すべての人に開かれているものです。第二バチカン公会議の公文書「教会憲章」の第4章では信徒の役割が定義され、洗礼を受けたすべての信徒が固有の召命(vocation)と使命(mission)を持つことが記されています。自分の心を神に向けた姿勢が「召命」で、自分の心を人々や社会に向けた姿勢が「使命」であり、この二つは表裏一体であることを確認いたしましょう。

 イエス・キリストの使命は「平和」の実現です。「あなたがたに平和があるように」と弟子たちに語りかけたことばを、教皇レオ14世は就任後の最初のことばとして選びました。この「平和」というイエス・キリストの使命に繋がって、私たち一人ひとりは具体的に平和に向けての、小さな自分にしかできない固有の使命をいただいているのです。祈りの中で、神が自分に何を望んでいるのかを識別し、自分のいのちがどのように神によって召され、使われるかを思い描き、その役割を引き受け、神に向かってその意思を宣言する営みが「召命」の受諾にほかなりません。

 年の瀬を迎えた今、この場所で、神によって召される自分のいのちと神によって使われる自分のいのち――自分自身の固有の召命と使命をもう一度意識してみましょう。

 2026年が平和に満ちあふれた年となりますように。アーメン。