2026年2月 3. 1歳の殉教者

 殉教者に倣って神に信頼と希望をおくことができるようにと祈るよう、日本の教会は意向に「信仰の証し人」を取り上げています。今回は、2008年11月24日に長崎で福者の列に加えられたペトロ岐部と187殉教者について思い起こし、彼らの信仰を思いめぐらしてみましょう。

 まず、福者ペトロ・カスイ岐部という人物ですが、日本名は岐部茂勝(しげかつ)といい、1587年にカトリック教徒の両親の間に生まれ、13歳で有馬のセミナリヨに入学し、1606年にイエズス会への入会を志しました。キリシタン追放令のため、マカオのコレジオで学びますが、日本人への偏見から叙階がかなわず、コレジオを脱出してマラッカ、ゴアを経て、3年をかけて単身で陸路ローマに向かいました。ローマでは司祭にふさわしい適性と充分な学識を備えていることを認められ、32歳で司祭に叙階されました。

 1630年、殉教を覚悟でマニラからの船に乗って、難破しながらも薩摩の坊津に漂着して、16年ぶりに帰国しました。激しい迫害と摘発を逃れながら、長崎から東北へ向かいつつ、信徒たちを励ましたのですが、1639年に仙台にあるキリシタンの家にかくまわれていたところを密告され逮捕されました。江戸に送られ激しい拷問を受けましたが棄教せず、1639年に腹を火であぶられて殉教しました。52歳でした。

 ペトロ岐部に励まされ各地のキリスト教徒も、迫害され弾圧されて殉教しました。列福された187人の殉教者の中に、幼児も多数含まれていました。年齢が不詳の者も多いのですが、5歳が5名、4歳が1名、3歳が8名、2歳が2名、1歳が2名であったと記録が残されています。もちろん、自らの信仰を表明できる年齢ではないので、親や親類と一緒に殉教したのですが、ローマの列聖省は福者の列に加えています。

 当時の死生観においては、いのちは封建領主のものでした。戦が始まれば招集されていのちを懸けて戦いました。ところがキリスト教徒は、いのちは神のものと捉えていたのでしょう。ですから、自分のいのちを神にささげて、大名や将軍の命令には従うことがなかったと思われます。

 1歳で殉教し、ペトロ岐部と並んで福者の列に加えられた幼子について黙想し、当時のキリスト教徒が証しした信仰を思いめぐらす一週間といたしましょう。