2025年11月 1. 人生の美しさ
教皇の意向は、「自殺防止」です。意向に掲げられた文を、ていねいに読み込んでみましょう。まず、「自殺の誘惑にさらされている人々」ですが、ある瞬間に思い立って、その場で自殺を決行する人は、誰一人としていないという事実を表わしています。自殺の主な原因は心の病、特にうつ病だと言われていますが、うつ病だからといって自殺をするとは限りません。まだ解明されていない要因が複雑に絡み合って、自殺という行為に至るのですが、いずれにせよ必ず自殺に至るプロセスがあるのです。「もう生きているのはつらいので、いっそのこと死んでしまいたい」と心が叫んでいる人を、「自殺の誘惑にさらされている」と表わしています。ところが、この状態は他の人が見入ることができない心の奥底での誘惑であることがほとんどです。周囲の人が気づくことはとても難しいのです。
次の文は「地域社会での必要な支援やケアを受け」と続きます。「生きているのがつらい」状態を改善できるのは、その人の周囲で暮らしている人々です。自殺願望に気づくことは難しいですが、困っていたり苦しんでいたりする状態を感じ取ることはできるはずです。ですから「支援」や「ケア」を周囲の人たちで、それこそ民も官も、つまり周囲の人々の善意も行政のしくみもフルに活用して行うことが求められるのでしょう。
「愛に触れて」と続きます。どのようにすれば「愛に触れる」ことができるのでしょうか。「自分の存在が認められている」「大切にされている」「苦しみも喜びも共感してくれる」といった人とのかかわりの中でのみ、「愛に触れる」体験が実感できるのでしょう。ですから、孤独や孤立、独りぼっちの状態を放っておかずに、まずはかかわりを持つことが求められているのです。
「人生の美しさに心を開くことができますように」との最後の文は、すべての人に当てはまる祈願のことばです。神がくださったいのちが、これほど素晴らしいものだと実感できれば、「いっそのこと死んでしまいたい」という気持ちは必ず溶けてなくなってしまうはずです。それは、キリスト教の教えの中心にある「互いに愛し合う」ことから生まれる、不思議な美しさなのです。
「自殺の誘惑にさらされている人々」が、「人生の美しさに心を開く」ほうへと歩みを進めることができますように、祈りをささげてまいりましょう。

