2025年12月 3. 紛争の調停

 教皇は「紛争地域のキリスト者」が「平和、和解、希望の種となることができますように」と祈るよう、私たちを導いています。

 紛争は、一度(ひとたび)起きてしまうと、その解決の糸口を見出すことはとても難しくなります。ですから、紛争に発展しそうな事案がある場合には、それを事前に解消することが最大限求められるのです。紛争中にそしてまた紛争を終了させるために用いる物的人的資源は莫大なものになりますので、紛争に足を踏み入れないためにどれほどのエネルギーを費やしても、まずは紛争の防止に真剣に取り組むことが求められるのです。

 しかし、紛争の勃発に関わる要素は、宗教、民族、領土、資源、政治体制などが、実に複雑に絡み合っているために、小さな突発的な軍事衝突をきっかけに、一挙に戦争状態に突入してしまった歴史は、枚挙に暇(いとま)がありません。

 それでは、勃発してしまった紛争、戦争を終結させるためには、どのような過程が必要なのでしょうか。最も単純な図式はいずれかの勢力が無条件に降伏することです。しかしこの場合、降伏する旨を相手の勢力に公式に伝えるための手段をどのように設定するかは、紛争をきちんと終結させるために重要な鍵となります。

 多くの場合は、双方の勢力から紛争を終了させるための条件を出して停戦し、和平を構築するプロセスを取りますが、この道筋は決して容易なものではありません。大切なのはどのような主体が仲介となるかという点です。独立国家の内部での紛争の場合だとそこには裁判権が確立されているのですが、国際間の紛争の場合は、国際法が存在し国際連合が組織されているとはいえ、双方に強制力を持った権力の主体がないがゆえに、直接に利害が絡まない第三国が仲介の役を担うことになります。ところが、この第三国が完全に中立の立場を保つことは、今日の国際情勢からして極めて困難です。そのために、今起きている国際間の紛争が、一向に解決できないのでしょう。

 紛争当事者の利害に中立な第三者が調停者となることは、紛争解決のプロセスにおいて極めて重要だとすれば、その役割をキリスト者が担うことはできないでしょうか。国家間の紛争の場面ではバチカン市国というカトリック教会が、地域の紛争であれば、例えばその地域のカトリック司教協議会などが、紛争当事者の間の仲介者、調停者となることは可能かもしれません。

 「あなたがたに平和があるように」と祈りながら、紛争当事者の間に入って調停者となる道が、わたしたちの教会に、そして私たち一人ひとりに開かれますようにと祈り願いましょう。